悔い改めて、活き活きとした結婚を求める

  

 悔い改めとは、ギリシャ語のメタノイア、心的転換、認識転換を意味する。メタは、英語のafter(〜の後で)という意味で、ノ イアとはmind、「考え、思い」を表す。メタノイアの純粋な意味は、「考えを後で変える、思い直す」であり、それ自体には、道 徳的な善をする決断や後悔、反省するといった意味は含まれない。この世は、罪、義、裁きへの認識が間違っており(ヨハネ16章 )、その認識を以下のように改めることがメタノイアである。
@ 罪とは、個々の行いのことではなく、キリストのあがないを信じない、神への不信仰である。
A 義とは、道徳的な教えや模範のことではない。人の最高の善や正義も、全知全能の神の御前では、不完全なのだ。わたし たちは善行による自己義認から考えを変え、キリストの十字架による罪の赦しによってのみ、義人として扱われるという「神の義 」を信頼する必要がある。
B この世の「裁き」への共通する理解は、人は自分の罪に応じて裁かれ、償いや罰、呪いや祟(たた)りを受けるという、自 業自得、因果応報である。しかし、人は自分では罪を償いきれないので、キリストが身代わりとなり、永遠の裁きを受けてくださ った。その救いを信じる人は裁かれない(ローマ8:1「今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありま せん」)。 裁きを受け、永遠に滅ぼされるのは、人の罪を告発し、神と人とを引き離そうとするサタンなのだ。

 真の悔い改めは、聖霊が降(くだ)っているかどうかでわかる。聖霊が降(くだ)っているかは、御霊の実を結んでいるかどうかで 分かる(聖霊の実、「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」―ガラテヤ5:22、23)。

 日本の離婚率は現在3〜4割だという。多くのカップルが、愛が終わったように感じるのは、その結婚が友情愛やロマンチックな 愛を基盤にしているからである。もちろんこれらは幸せな結婚に大切なものであるが、ストレスを感じる時、子どもや仕事、経済 的な問題が起きたとき、傷ついたり、必要が満たされなかったときに、友情愛もロマンチックな愛も消えてしまうのだ。そして、 全ての夫婦が問題にぶつかる。そのために備えていないから、これら二つの愛はつまずいてしまう。 しかし、この世で最も強い力があるのは、無条件の愛(ギリシャ語のアガペー)である。聖書には、アガペーの愛をこう説明して いる。コリント第一13:4〜8「(4)愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。(5)礼を失せず、自 分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。(6)不義を喜ばず、真実を喜ぶ。(7)すべてを忍び、すべてを信じ、すべて を望み、すべてに耐える。(8)愛は決して滅びない。」これは、人間の愛がこうあるべきだ、ということではなく、キリストが表 された神の愛の性質を述べている。このような愛は、人が自ら生み出すことはできない。自分にはこのような完全な愛はない、と 気づくことが始まりである。悔い改めて、聖霊で満たされたとき、このような愛が天から送られてきて、少しずつ完成へと成長さ せられるのだ。

 日本キャンパスクルセードのアンディ・美湖宣教師は、日本人の奥さんと結婚して20年になる。その生活は決して楽なものでは なかった。国際結婚、五度も海外に引っ越したこと、大きな経済的困難、がんと痴呆症を患った母との生活、四人もの子を育て、 その一人は障害児である。普通ならば、離婚を考えてしまうような状況だったとアンディ師は言う。それにもかかわらず、喜びの 20年だった。楽しく、温かく、年月と共に良くなってきた。それは、結婚の中心に神の無条件の愛(アガペー)があったからである。

DVD「これほどの愛はない」JCCC(日本キャンパスクルセードフォークライスト)より


御翼2011年8月号その3より

 
  
世界で活躍したクリスチャン HOME